うんざりする・・「早期英語教育はいらない」なんて、暴論だ
「早い年齢から英語教育を受けると、日本語コミュニケーションが取れなくなるから、早期英語教育はいらない。」
この暴論を聞くと、イライラしてしまう。
これって
「小さいころから水泳を習わせたら地上で生活できなくなるから、習わせちゃダメ。」
と言ってるのと同じくらいバカバカしいことなのに、なんでこれがまかり通るんだろう。
日本語喋れなくなるくらいの英語教育って、いったいどのレベルを指しますか
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水泳やピアノ、バレエなど。
習い事はたくさんあって、小さいころから熱心に習わせる親御さんもいますが、
「あんまり早く水泳を始めると、陸上生活に支障があります」
「あんまり早くピアノを習わせると、他の動作が出来なくなります」
とは言いません。
それなのに英語だけは
「あんまり早く英語を習わせると、日本語を話せなくなる」
という極端なことが言われてしまう。
なんでなのでしょうか。
そしてそもそも、
「日本語が話せなくなるくらいの英語教育」
とはどのレベルの英語教育を指すのでしょうか。
私はどちらかの親御さんが外国人で、日本語と一緒に外国語に幼いころから触れている子供を何人も知っていますが、どの子も日本語のコミュニケーションに問題はありません。
ほんとうに、一体どれくらいの英語教育を施せば、日本語を話せないくらい英語漬けになることやら。
ひょっとして、「両親が英語しか話さず、日常生活でも日本語を排除して英語にしか触れさせない」レベル?
それってもはや「教育」ではなく「英語圏での生活」。
そりゃあ日本語話せなくなるでしょ。
もっとゆるく捉えたらいい「子供への英語教育」
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ひとくちに水泳を習うと言っても、
水に慣れるため
泳ぎ方を身に着けるため
体力をつけるため
速く泳げるようになるため
オリンピックに出るため
もしくはシンクロナイズドスイミングがしたい
習う目的や方法はさまざまです。
「小さいころから水泳を習う」からといって、全員がプロやオリンピックを狙い同じ方法をとるわけではないのです。
それと同じで、英語教育もいろんな目的や学習方法があっても、いいじゃないですか。
ただ「英語という言葉」に触れる
外国人に出会う
異文化に触れる
たまたま「英語」というツールを使って同じ年頃の子と遊ぶ
こんなゆるゆるな目的だって英語教育。
そしてゆるゆるな英語教育にも、意味は絶対にあります。
逆に、日本語を徹底的に排除した極端な英語教育だって、他人に「不要」と決めつけられるいわれはありません。
世の中に「絶対」なんてものは無いんですから。